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☆ Smile KSW ☆

俳優クォン・サンウ氏のファンであるnatuの日常のつぶやきブログです。 
朝が来て・・・・
台風一過。


今朝は、家族はみななぜか夏休みをとっていて、

娘は旅行中、同僚と一杯やってご機嫌になった夫は、昨夜遅く帰って来ました。


息子は、出社と言うこととは無縁なながい休養中(笑)。

「こっちをみないで」状態(笑)。



そして、猛烈な台風が過ぎ去った今朝。

真っ先にしたことは、ベランダの片づけ。


そして、カメラで・・・・


朝日を写しました。

日の出からまもない東の空。

朝1


朝日。

朝



秋の雲が広がる空。

思わず、カメラをとりだしたくなる朝でした。

朝3


南の方は、右端の朝日に照らしだされるビルがピンクになって綺麗でした。(クリックしてね)

朝焼け


庭には、台風の爪痕が・・・・

庭


バラを這わせていた垣根も倒れていました。

庭2


木もなぎ倒されているみたいです。


行ってみなくちゃ・・・・・



続きは、秋(今)、上映している映画の男優論の中の、クォン・サンウ編です。


客観的に見るとこういう見方もできると言うことで・・・・

あくまで、こういう見方もできる・・・という程度のものですが。









[男俳優色合い論争②]

クォン・サンウ、強いけれどやわらかい‘茶色’成長痛


▲9月劇場街で会う韓国の男俳優- <痛み>クォン・サンウ

2001年<ファサン高>でデビューした時だけでも

青春スターの清涼なイメージを大事に保管していたクォン・サンウは、

10年の歳月が流れた今、特有の馬鹿正直な感じが漂う俳優に変貌した。

俳優クォン・サンウに成長は楽しい痛みなのかも分からない。


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30代中盤を越えた年齢にもかかわらず、

クォン・サンウは相変らず少年の雰囲気を大事に保管している。

とても若く見えるというわけではないが、

ひと目で歳月の跡を読むことはできない妙な青春の顔.

その顔でクォン・サンウは<戦火の中へ>で

高校生帽子を押してかぶった年かさの学徒兵として出てきた。

主に高校生を演技した初期作らと同じように。

はっきり調べればクォン・サンウは誰かの夫や

お父さんの役割を演技したことが一度もない。

いつも誰かの息子や誰かの恋人だった。


自然人クォン・サンウの人生とは別個で、

俳優クォン・サンウは相変らず成長中である少年に近い。

2001年<火山高>でデビューした時だけでも

青春スターの清涼なイメージを大事に保管していた彼は、

10年の歳月が流れた今、特有の馬鹿正直な感じを漂う俳優に変貌した。

強靭だがやぼったくなくて、やわらかいながらもくどくもない馬鹿正直だ。

その馬鹿正直さに色をつけるならば恐らく茶色が適当でないだろうか。


クォン・サンウに茶色馬鹿正直さを負わせた決定的な作品は

まさに<マルチュク青春通り>だ。


封切りして7年が過ぎた今でも相変らずクォン・サンウといえば、

一番最初に浮び上がる映画であるほど、

<マルチュク青春通り>は彼の演技人生で重要な位置を占める。

それ以前まで<ひとまず走れ> <同い年の家庭教師>などの映画で

愉快でこざかしい学生の役割を引き受けたクォン・サンウは

<マルチュク青春通り>で、既存のイメージをひっくり返して切ない感性をリリースした。


1970年代末、苛酷で残忍な時期の中で花が咲いた青春の美しさは

新しく発見されたクォン・サンウの純真無垢な顔を通じて

世代を合わせる共感を引き出した。

胸を熱くした友情と初恋のときめきを経て暴力と背信の中で

次第に純粋さを失われる少年のひりひりした成長痛は

まもなく俳優クォン・サンウの成長を意味するということにもなった。

たとえ技術的に円熟してはいなくても、その演技は

学生時代を送ったみんなの心臓にずしんと響く真正性を含んでいた。


片思いする少女に格好よく見せようと、下手な手並みでギターを演奏する姿から

怒りのヌンチャクを振り回して屋上で血みどろの戦いを行う姿まで。


<マルチュク青春通り>で見せてくれた柔らかいながらも意志の強い感じは

以後クォン・サンウのトレードマークになった。

ブルース・リーの分身であるように、よく整った(鍛えられた)筋肉と

アクションに対する情熱もまた、俳優クォン・サンウが持っている長所だ。

これらすべての資質はドラマ<大物>のバカ検事ハ・ドヤを通じて爆発した。

定義社会実現のために水火の中に飛び込む意志の強さと愛すべきいい加減さだ。

簡単に混ざりそうでなかったその二種類が、

クォン・サンウを通じて一つになりながらさわやかなシナジーを起こしたのだ。

男俳優色合い論争


韓国の男優中で、アクションとメロー全部似合うようにやり遂げることができる俳優は

数えるほどしかいない。

<野獣)> <宿命> <戦火の中へ>のよう、にマッチョ的なアクション物と

<恋する神父> <青春漫画> <悲しみよりさらに悲しい話>等

女性観客が好むだけのロマンス映画を似た割合で併行する俳優は多くない。

たとえ興行と批評面で優れた成績をおさめた作品は多くなくても、

どの映画でもクォン・サンウが体に似合わない服を着たという感じを与えない。

彼はきれいな顔と万人の羨望をかう硬い腹筋が理想的な調和をなしている標本だ。

彼の容貌から純愛好きと男性美を等しく発散していることだ。


だが、これらすべてのものはクォン・サンウの自然な演技力が後押しされなかったとすれば

不可能だっただろう。

彼は はやり言葉で角を捉えない。

‘フカシ(후까시)’がない。

‘私 今 演技しますよ’と公表しないで

そよそよと そらぞらしい演技を楽しむことができる。

‘ケバンチョン(깨방정)’に震えたり過度に壊れるのも躊躇しない。

仮にクォン・サンウを烙印のように追いかける‘舌短い発音’が

マイナス要因というものを否認する訳には行かないが、

彼の目つきと表情で発する余裕は決して低く評価してはいけない。

映画とドラマを合わせてコメディ、メロー、アクションなど

多様なジャンルの演技ができる柔軟なことは、誰でも誇ることができるものではない。

現在のジャッキー・チェンと共にアクション映画<十二生肖>をとっているクォン・サンウは

最近ハリウッド アクション映画にキャスティングされて

世界的なアクション俳優へと跳躍する準備をしている。



アクションとメロー、その先で枝を伸ばす時


だが、クォン・サンウのこのような長所はややもすると

‘豊かさの中の貧困(器用貧乏)’を招く危険がある。

いつまでもメローやアクション映画にだけ出演することはできないのではないだろうか。

明らかに演技が出来ない俳優ではないものの

確実に演技を上手くする俳優の範疇に入れることも曖昧なのが今彼の位置だ。

ひたすら身近で自然なだけでやっていくのは難しい。

例えば凄じいスリラー映画のサイコパスの役割だとか、

社会ドラマで切なる悲劇を描き出す主人公や

致命的なカリスマを要するキャラクターにクォン・サンウを代入してみた時

果たしてよくやり遂げられるか疑問を感じる。

<宿命>での卑劣な悪役がどこか危険に見えたことのようにね。

ジャッキー・チェンのようなアクション専門俳優になるのでなければ、

演技のスペクトラムを増やすところに躊躇してはいけない。


10年余りの演技生活に<マルチュク青春通り>の他に

これといった代表作がすぐに思い出さないという点も歓迎されるものではない。

男優色合い論争

そうした点で<痛み>はクォン・サンウの転換点になる事に値する。

幼い時の事故によって苦痛の感覚を喪失してしまった‘ナムスン’は

明らかにクォン・サンウの演技力が一段階成熟したということを立証する。

ナムスンは痛みを感じられなくなった瞬間から人生が止まった男だ。

交通事故で家族を全部失って単独で生き残らなければならなかったその瞬間から

これ以上成長できないまま、ひたすら記憶という痛みに捕らわれている。

ナムスンは非情なソウル空の下、毎日のように自害恐喝を行って暮らす。

皮膚がむけて血が流れることぐらいは彼に何でもない。


少年と男の間で道に迷ったようなナムスンは大変純白な人物だ。

苦痛をギュウギュウ押して入れた無表情さと

むなしく水気を含んだ瞳は底なしの凄然さをかもし出す。

中間に話が多少煩わしく絡まってドンヒョン(チョン・リョウォン)とのロマンスが

いかにもごり押し的な部分がなくはないが、クォン・サンウの熱演だけはものさびしく光る。

俳優クォン・サンウに成長は楽しい痛みなのかも分からない。

コチラからお借りしました。

私は・・・・

サンウの色は、何色にも染まる 薄いブルー。

水の色ですが・・・・


茶色ですか・・・・


赤でも黒でもない、どちらとも言えない色ですか・・・・



微妙だわ(><)。



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