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☆ Smile KSW ☆

俳優クォン・サンウ氏のファンであるnatuの日常のつぶやきブログです。 
他のみなさんは何色?
先ほどの 男優論、他の方はどんなふうに書かれているか知りたくて

コンユさんとシン・ヒョンジュンさん、チャ・テヒョンさんを見てみました。



愛情があまりないので・・・

ほとんど翻訳機のままです(笑)。

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[男俳優色合い論争①]
コンユ、さわやかな青春がもたらした‘藍色’純粋



▲9月劇場街で会う韓国の男俳優- <ルツボ> コンユ


彼の体が、顔が、声が“コンユは元気で美しい青年”と話す。 特に女たちに。 だが、俳優としてさらに遠方を眺めようと思うならば、今こそその可能性を見せなければならない時だ。 彼が持った太陽の光若さが少しずつ深まっている。


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東西古今を問わず若さを称賛するのはそれが生の感覚を呼び覚ますためだ。 すべての存在は歳月の前で縮んでついに衰えるが、若さは少年を成長させる。 肉を太らせて考えを育てる。 そして元気な青年を作る。 死の独裁に対抗することができるのはただ若さだけだ。 問題はそれが永遠でないとの事実だ。 若さには必ず終わりがあるはずだ。 それでさらに尊くて神秘だ。 そのように美しい若さの色を問い詰めるならばそれは恐らく青い秋太陽の光ではないか?

コンユはさわやかな青年の肉体と秀麗な青年の顔ときれいな青年の目つきと堂々とした青年の声を持った。 一番最初コンユを発見したところがケーブル プログラムでも(コンユはケーブル チャネルVJで芸能界にデビューした)でも、雑誌画報でも、青少年ドラマ<学校4>入った、映画<同い年の家庭教師>に出ていたとは関係ない。 初めから私たちが彼を注視したのは、率直に話して頭からつま先までさわやかな若さの姿をしているためっと違ったのか!

大きい身長と長い脚はすがすがしくて、がっしり広がった肩は落ち着いている。 顔はまた、どうなのか. 本当に独特にハンサムなその顔話だ。 2000年代初めから男の容貌を置いてメトロセクシャル(かわいらしい男)とか、ウェバーセクシャル(経た男)とか、美男(花のように美しい男)とか、フン男(平凡な顔だが見れば見るほど魅力ある男)とか、グルーミング族(芸能人頬打ちするように管理上手にして通う男)とかあらゆる流行が自分勝手に来て帰ったが、コンユの顔はそのどこにも属しない。

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皮をむいたサトイモのように小さくて丸い顔に気さくな目鼻口がぎっしり埋まった顔付き. その顔付きをかわいらしいとか、荒いとか、花のようだとか、平凡だとか、よく整えたようだというのは何かぎこちない。 すっきりしていて断定した感じを漂うというのが正確だろう。 ウェカプルの大きな目がしっとりとするように光る姿が特にそうだ。 すがすがしそうな目、鼻、唇がパッと動きながら微笑を浮かべれば世の中に心配することが一つもない人のように見えることさえする。

その目に茶目っ気が幼ければ即座に明るい少年が見える。 この時流れ出るやわらかくて物静かな声はどうであれ! その声が‘世の中の人みな信じられなくても私は信じても良い’で響きわたる。 彼の体が、顔が、声が“コンユは元気で美しい青年”と話す。 特に女たちに。

<同い年の家庭教師>の卑怯な学校‘最高’従嫂が特別な注目をあびることができないのもそのような理由のためでないか。 それよりは[Sダイアリー]のさわやかな年下の男ユミンがはるかによく似合った。 ユミンは率直で堂々とした青春であったから。 <潜伏勤務>の丸坊主高校生露営も悪い選択ではなかった。 二十六才の年齢にコンユはドラマ<乾パン先生と変わった人>でもう一度制服を着た。

反抗期いっぱいである問題児テインは担任先生麦(コン・ヒョジン)に愛を感じながら即座に青春の白い内心を表わす。 あちこち測るとは思わなくて心が傾き次第走る青春の迫力という(のは)! 少年はドラマ<ある素敵な日>で青年になる。 ソ件は、つらい歳月の中に結構荒くなったが胸の中にはヨリディヨリン純情を大事に保管した人物だった。 ソ件を演技してコンユは毎回熱心に泣いたんです。

そしてコンユの青い若さはついに<コーヒープリンス1号店>で美しく花が咲いた。 男と知っているウンチャン(ユン・ウネ)に向かう心のために苦しんだハンギョルがついにウンチャンを抱いた時、そして“行ってみよう. 行く時まで”と話した時、女性視聴者たちの心臓は暴走機関車の故障したエンジンのようにばたばたした。 ウンチャンを見て自身も知らないうちに微笑を浮かべる時は荒っぽい少年同じだったし、悩みの末に世の中が反対する愛すると決心する時はりりしい青年同じだった。 ハンギョルとウンチャンが青く愛した姿はドラマが放映終了されて4年が過ぎた今でも目の前に善良だ。

藍色信頼が広がる

去る4年の間コンユは軍隊に行ってきたし、2010年<キム・ジョンウク検索>で演技に復帰した。 <キム・ジョンウク検索>の正しい青年基準はコンユが相変らず青い青春の魅力を持っていることを確認させた。 彼は相変らずさわやかで秀麗できれいで堂々としている。 彼の若さは相変らず有効だ。 だが、私たち皆若さには必ず流通期限があるとのことを分かる。 その速度がのろかったとしても終わりはくるはずだ。 それを一番よく知っている人はコンユ自身だ。 今年で彼の年齢三十三. しかもデビュー後10余年が過ぎるようにロマンチック コメディやメローのほか他のものをしてみたことがあまりない。

演技できないと非難されたこともあまりないが、率直に話してどんな役を任せても安心する俳優ではない。 彼が相変らず存在自体で女たちの心を盗む青い青春という事実は否めない。 それはどれくらいすごい祝福なのか。 だが、俳優としてさらに遠方を眺めようと思うならば今こそその可能性を見せなければならない時だ。 浅い空に青いインクを一粒落とすといって広くて広い空がすぐ藍色で染まりはしない。 一粒の後にまた、一粒、また、一粒ずっと落とす方法以外に。 変化は積もってこそ見える。 一番自然なことはだんだん変えることだ。

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<ルツボ>のコンユがそうだ。 <ルツボ>は幼い年齢に学校先生らから性暴行とセクハラにあった聴覚障害子供たちの実話を描いたドラマだ。 共有はここで聴覚障害子供たちを助ける美術教師隣好でくやしい。 共に子供たちを助ける人権団体幹事ユジン(チョン・ユミ)と切なく愛を分かち合う場面のようなものない。 映画ずっとひたすら子供たちをまともに助けることができないことに対する申し訳ない思いと誤った世の中を正すことができなくて感じる鬱憤に集中する。 そして彼のしっとりとした目がなみなみとある悲しみに浸って、正直な微笑の上で熱い慰労が映る。

その姿が一つも不慣れではない。 いや、かなり頼もしく見える。 コンユからさわやかな若さを取りはらいても無尽蔵な純粋さが残るというのを<ルツボ>は証明する。 その純粋さは濃厚な藍色に似た。 藍色はおしゃれするとは思わない人も気楽に入庫、粋を知っている人も好んで着る色だ。 誰にでも通じる信頼の色だ。 彼が持った太陽の光若さが少しずつ深まっている。 そのように見れば真っ青な若さが光を見送ってもびくともしない藍色海がものさびしく彼のことになるだろう. 遠からず。


あれれ・・・・

このシリーズを書いたチャン・ソンラン記者、コンユのファンですか~~(笑)




続いてこの方・・・・



[男俳優色合い論争④]
シン・ヒョンジュン、‘真っ白’泣かせて笑わせて


▲9月劇場街で会う韓国の男俳優- <一族の光栄4>シン・ヒョンジュン

デビュー初の頃からシン・ヒョンジュンのタイトルはカリスマであった。 ドラマ<天国の階段>までだけでも相変らず純愛好きの主人公であったし、相変らず大衆を泣かせた。 しかしシン・ヒョンジュンは大衆に身近に近寄ることができる態度を持った。 それが彼がコメディ俳優で位置づけを固めることができた力だ。

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おそらくスター俳優と言うなら名前を聞いた時浮び上がる代表作が一つ以上あるはずだ。 ‘シン・ヒョンジュン’という名前で大衆は色々な人物を思い出させる。 ある者は真冬の厳しい寒さの中で石像のように目を見据えていたファン将軍を、誰かは朝鮮の商圏を見下げた日本人林を、あるいは<一族の光栄>シリーズの嫌うことはできない長男チンピラ妻の父材を、もしかしたらお母さんのために走ったキボンを思い出させるだろう。

1,000年の間ある女性だけ眺めた将軍でタク・ジェフンと幻想呼吸を合わせて芸能を平定したアラブ王子まで、大衆に刻印されたシン・ヒョンジュンのイメージは驚くほどさまざまだ。 デビュー20年を越えた中堅俳優シン・ヒョンジュンの延期(煙、演技)スペクトラムは大衆が想像するそれ以上で広い。 シン・ヒョンジュンのフィルモグラフィーは彼がどんな俳優なのか一言で説明する。 どんな配役でも消化して出すことができる、白紙同じ俳優ということを。

事実デビュー超シン・ヒョンジュンのタイトルはカリスマであった。 20年が過ぎた今でもユカタをかけて節度(窃盗)あふれる姿勢で将軍の息子を威嚇した日本人林を記憶する大衆が少なくない。 韓国人同じでない濃厚な耳目口鼻、持って生まれた低音は彼に胎生的カリスマを抱かれた。 果たしてエリート冷血なコースだけ踏みそうなシン・ヒョンジュンのイメージは<イチョウ ベッド>で爆発する。

1,000年の間ある女性だけ眺めた熱い無事ファン将軍は永らくシン・ヒョンジュンのまた他の名前だった。 ハン・ソッキュとチン・ヒギョンという当代最高の俳優の間でシン・ヒョンジュンの存在感は圧倒的に光ったし、彼が愛する女性の心をつかむために雪原でひざまずいていた名場面は無数に多くのパロディを誕生させた。 哀愁幼い目つきの長髪無事イメージは<飛天舞>まで続いたし、彼は永らく悲劇的な史劇を代表する人物だった。


カリスマは減らしてコメディは加えて


そのようなシン・ヒョンジュンのイメージが少しずつ変わることになった契機はチャン・ジン監督の<キラーらのおしゃべり>だ。 とんでもなく笑わせたこのブラックコメディでシン・ヒョンジュンはTVの中アナウンサーを慕う純真無垢なキラーに変わった。 その後また<ブルー>を通じて彼の長期であり専売特許の重たいカリスマをリリースしたりしたが、<キラーらのおしゃべり>でシン・ヒョンジュンのイメージは一層軽くなったし、彼にカリスマでない、他の何か期待する人々が増えた。

そのような時期にシン・ヒョンジュンが選択したドラマ<天国の階段>のあるテファはついに成り立つことはできない愛を渇望する悲劇的なキャラクターながらも若干は負担になったカリスマを淡泊に取り出した配役で記憶される。 事実初めて<天国の階段>でシン・ヒョンジュンの位置は不安だった。 TVに登場しさえすれば女たちを身をすくみあがらせるようにする‘美男’ ‘ナイスバディ’俳優クォン・サンウがいるところにシン・ヒョンジュンの子役で熱演した弛緩はキム・テヒの実の弟(妹)という遺伝的特典を全身で見せてその年最高の新人俳優に浮び上がった。

多くの視聴者たちはその有名な回転木馬神(靴)で怒鳴った嘆きをはっきり記憶するだろう。 チェ・ジウの子役のパク・シネをストーカー水準で執拗に追いかけた、しかしすてきな幼い量だった弛緩が回転木馬が帰るということと同時にシン・ヒョンジュンに変わる瞬間(その上なぜ彼はすべての女たちが嫌いな不滅のファッション アイテム‘パン母子(帽子)’を押して使って出てきたのか!) 女性たちは遺憾の奇声をあげた。

‘ひまわり愛’をする哀愁幼いキャラクターを若いクォン・サンウと彼よりさらに若い弛緩に奪われたシン・ヒョンジュンはそのまま雄壮な主題が‘Ave Maria’中に埋められるようだった。 しかし結局愛する女の幸福のためにチェ・ジウをクォン・サンウに送った、それでも足りなくて安岩(アンアム)にかかった彼女に眼球をプレゼントするために両手で目(雪)をかばって自殺を選択したシン・ヒョンジュンを、視聴者たちは号泣で哀悼した。 ‘美男’タイトルは奪われてもシン・ヒョンジュンは相変らず純愛好きの主人公であったし、相変らず大衆を鳴った。 大衆を鳴るのに通達したシン・ヒョンジュンはその時からそろそろ純愛がうんざりされたのかコメディに気を使う。 <達磨が、ソウル支え>きて<一族の光栄>シリーズに出演しながらシン・ヒョンジュンは一気にコメディ俳優で位置づけを固める。

事実シン・ヒョンジュンという俳優の顔自体でコメディを発見することは大変だ。 今でこそ多くTV芸能番組を通じて(一緒にタク・ジェフンの見当おかゆするということを通じて) “油がたくさん出る国の王子”だとか、“空港入国審査台でテロ犯という疑いを買ってかかったことがある”とか爆笑を誘発するキャラクターになったが、事実彼は疑う余地ないハンサムだ。

デビュー初め彼がずっと真剣な役割だけ受け持ったということを思い出させてみなさい。 万一、彼がデビュー初めと同じように今までずっと落ち着いている延期(煙、演技)だけしたとすれば、コメディ俳優として出るのがぎこちなく感じられたかも分らない。 しかしシン・ヒョンジュンは大衆に身近に近寄る態度を持った。



<裸足のキボン>は始終一貫笑わせたり真剣なだけしたシン・ヒョンジュンの新しい面を発掘した作品だ。 彼はこの映画で蓬頭乱髪に切った頭に滑稽な入れ歯を挟まって八才の無邪気な魂を持った四十才老いた未婚男性で熱演した。 完走メダルを1等メダルとしお母さんキム・スミに歩いてくれた明るい田舎青年は奇峰がそれ自体であった。 この映画の成功でシン・ヒョンジュンはヒューマンドラマにもたけていた俳優という事実を立証する。

20年超えて数多くのキャラクターで観客を鳴って笑わせたシン・ヒョンジュンが今年秋夕(チュソク)、<一族の光栄4-一族の受難>’で久しぶりに観客を探した。 この映画でシン・ヒョンジュンはもう一度一族のやりくり上手の長男妻の父材役を担った。 秋夕(チュソク)特選映画はいつも韓国コメディの手をあげた。 4編(便)も秋夕(チュソク)劇場街で人気集め中だ。 すでに1,500万観客の愛を受けた大韓民国代表コメディ シリーズで、シン・ヒョンジュンはキム・スミ、タク・ジェフン、チョン・ジュナなどコメディに一見識がある俳優らと共に生まれて初めて海外旅行を離れた組織暴力一族の受難を見せる。 ‘千の顔’シン・ヒョンジュンのコメディはもう一度観客らを抱腹絶倒させるのに成功した。




ライバルといえば、この方も・・・・


[男俳優色合い論争⑥]
チャ・テヒョン、闇を知らない‘黄色’


▲9月劇場街で会う韓国の男俳優- <チャンプ>チャ・テヒョン

和やかな家庭で育った坊ちゃんのような容貌でこそチャ・テヒョンが持った特別な才能だ。 おとなが無邪気さを装えば不都合さを伴うはずだが、チャ・テヒョンはそのようなうじゃうじゃとうごめく演技を当たり前のようにやり遂げる。 それならもう‘おとなチャ・テヒョン’を再発見する時間だ。

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人とカラーの相性をそんなに信頼する方ではないがチャ・テヒョンならば話が違う。 黄色ぐらい当然なハプが確実に浮び上がらないことだ。 ファントーンカラーシステムとすれば‘Pantone 14-0848' ぐらいの豪華で楽観的な黄色というか。 彼の出世作がドラマ<ひまわり>という事実をあえて言及しなくても、このさわやかなマッチに異議を提起する人は多分あまりないだろう。

色彩学ならば私もちょっと一見識がある方なのに(気になればひとまず筆者の名前から確認するように),一言で陰一点探せない‘厳親’のようなカラーがすぐにこいつだ。 黒い色と補色関係に置かれたこいつは生まれつき闇の対称点にある。 黄色がだしぬけに肯定のアウラを吹きだすのはそうするからだ。 幼稚だが嫌うことはできない愛らしい色. じっとしていても運動性が感じられる快活で社交的なカラー. これこそがチャ・テヒョンが遺伝的にきれいに受け継いだ彼だけの才能ではなくて何だろうか。

かわいげある容貌と茶目っ気多い表情、ここにTV芸能番組にも無理なしで入り込む持って生まれたユーモア感覚まで。 まるで和やかな家庭で良く育った坊ちゃんのような面目(容貌)でこそチャ・テヒョンが持った平凡だが特別な才能である縁だ。 実際にドラマ<若者の日の当る場所>でチョン・ドヨンを慕う金持ちの家坊ちゃんで初めて姿を表わした彼はとても幼く見えるという理由でドラマで中途下車される侮辱を受けたことがある。 理由多くの顔を勲章のように感じた1990年代のマッチョらの間で少年のようにあどけない容貌の習う世情分からない今年生まれたヒヨコ取り扱いを受けるほかはなかったのだ。

しかしどうのこうのとしても終局には巻き物休止のようにさらさら解けることが‘厳親’の運命. クァク・チェヨン監督の<猟奇的な彼女>は21世紀善男善女の新しい標準を提示して彼を一気にトップスターの隊列にのせた。 酒にモチになったお嬢さんをモーテルまで美しく‘迎えて’与えて、足痛い恋人のハイヒールを代わりに履く順どんとこの大学生‘牽牛’は雄の臭いちらちらと漂った既存の主人公らと軌道を別にするということだったし、‘平凡な容貌の無邪気な男’はそのまま大韓民国ロマンチック コメディの常連キャラクターになった。

一方<猟奇的な彼女>の興行で低費用高効率のロマンチック コメディー物製作がブームを成し遂げながら彼の株価も自然に上がったと見られるが、それでも彼の全盛期を単純に時流に便乗した好い時節で要約しようとすれば若干気まずい気がする。 後に一歩退いて相手方を配慮する延期(煙、演技)スタイルはチャ・テヒョンという俳優が持っためったに見ない美徳の中の一つであるためだ。

ドラマ<ひまわり>の、キム・ジョンウンと<猟奇的な彼女>の、チョン・ジヒョンがあっという間にヒロインに浮び上がった背景にはチャ・テヒョンという守備型ミッドフィルダーが位置していたといっても過言ではない。 ソン・イェジン、イ・ウンジュ(恋愛小説),ソン・ヘギョ(波浪注意報),ソン・ユリ(皇太子の初恋)等有名な美人女優が彼を喜んでパートナーで迎えたのも同じ脈絡で理解されるはずだ。

彼はもまた、多少未成熟に見える自身のキャラクターを前面に押し出すことによって独特のペーソスを作り出す賢い喜劇俳優でもある。 おとなが無邪気さを装えば仕方ない不都合さを伴うはずだが、彼はそのようなうじゃうじゃとうごめく延期(煙、演技)を当たり前のようにやり遂げる。 彼の作品大部分が終始笑わせてある瞬間胸が痛い心を与えるのは純粋にチャ・テヒョンの球だ。 彼が全力をつくしてこざかしい策を働かせて虚勢を震えても悪意や適宜が感じられない。

どうであれ観客には‘分かってみれば内心は優しい隣の家兄さん’である。 おかげで人生につまづいて状況が悪化の一路を歩くほどチャ・テヒョンの騒動劇は濃厚なペーソスをかもし出す(似た過労イム・チャンジョンを上げられるが、悲しいかな彼のイメージは‘隣の家兄さん’とみるより‘ならず者叔父’側に近い).


‘牽牛シリーズ’を抜け出すことができるだろうか?

しかしここらで黄色は簡単に真っ青になる色だという点を確かめて行かなければならないようだ。 もちろん昔も今も彼は興行に確実に失敗したことがない(<波浪注意報>はパスすることにして…). 一時忠武路(チュンムロ)には“チャ・テヒョンとコメディをとれば大当たりではなくても中パクは打つ”という言葉が公式のように飛び交うこともした。 問題は<猟奇的な彼女>以後一連のフィルモグラフィーが事実上‘牽牛シリーズ’に過ぎなかったという点だ。

<ハッピーエロ クリスマス>を始め4年近く彼が見せた延期(煙、演技)は残念なことに自己複製を繰り返した。 一生のヒット曲がただ一つだけの歌手のように、彼は自身の成功作をつましくもしぼり取った。 だからだろうか。 私は、作品の興行にもかかわらず、当時年末授賞式で彼を支持した記憶がただ一度もない。 続く黄色の饗宴があたかもビタミン過多摂取の副作用とも同じ疲労を呼び起こした理由だ。

続く言論の酷評でスランプに落ちたチャ・テヒョンはさらに恐慌障害まで体験したと伝えられるが、きれいに成長してきた彼がそれなりの冒険を選んだのもこの頃だ。 彼は無理に風変わりな役を担ったり異なるジャンルに挑戦する代わりに<覆面月号> <バカ>のような商業映画の枠組み中で着実に変化を試みた。 その間10年親交の友人と結婚してある子供のお父さんになることで自然に家族映画の垣根に進入した。

よそ見をしないでゆっくり同じ道を歩いてきた彼に<猛スピードスキャンダル>というチェクパッはかえってちょっと遅い感があったと見る。 その上‘ナム・ヒョンス’というキャラクター(一時トップ歌手であったが2集アルバムがすっかりほろびてラジオDJで再起を夢見る子供の父)は中がじっと見えるほど初めから最後までそのために作られた人物ではなかったのか。 今や‘おとなチャ・テヒョン’を再発見する時間が来たものだ。


最近1人5役で熱演した<ハローゴースト>が続けて興行に成功しながら、彼は‘チャ・テヒョン票(表)家族映画’という新しい方向を設定したように見える。 国内で幾つにもならないコメディ俳優の系統を引継いできた彼はもう結構父情を演技することができるおとなに成長した。 <チャンプ>が期待されたのはそのような理由だ。 彼はこの映画で愛する娘のために馬に乗って疾走するお父さん役を担った。

遠い昔彼はあるインタビューで“いつかは<キクジロの夏>(2002)のような映画を撮ることになるだろう”と公言したことがある。 すなわち二人の子供のパパになるこの16年目中堅俳優が新たに尊く感じられる。 ア、景気低迷期には黄色が浮かび上がるといったのか。


コチラからお借りしました。


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